はじめに
この文書の多くの部分は、『京都府高圧ガス溶材組合』の前理事長・中森勝一氏(株式会社泉産業 ・前会長)が組合設立10周年記念に際して自らの記録にもとづいて『おいたち』という小冊にまとめられた文章であります。
“業界の歴史を知る”多くの方々が時の流れとともに他界され史実が正確に伝わらなくなり忘れ去られてゆくことはとどめようもありません。この文書の公正さと史実的な正確さを少しでも維持したいと思いますのでお気付きの点が御座いましたらご指導並びに指摘を頂戴して加除訂正を致したいと考えます。中森勝一様には、業界の歴史を振り返り“歩んで来た道”を知る上で貴重な資料を関係者に提供して頂いたこと対し、深く感謝を申し上げたいと思います。“先人の鏡”に光を当てて未来の闇を照らしながら歩んで行きたいと思います。
(舞鶴大同ガス株式会社 代表取締役社長 岡田 隆義)
黎明期に於ける酸素の供給
京津(京都市周辺と大津市周辺の総称)地区での業界初期の酸素供給は、大阪酸水素工業(大正8年創業、其の後、鐘ヶ淵油脂工業、酸水素油脂工業と改称しつつ現在の日本理化伏見工場)の下に、梅沢酸素、仁科商店、今村酸素店、宇佐美酸素店の各販売会社があり、大阪酸水素工業自らも販売(大阪・京都地区)すると共に大阪地区へは岩谷産業を通じて販売を行っていた。其の他、帝国酸素(大阪工場で生産し搬入)と国華酸素(横浜本社で後の京津酸素)の2社が地区業者として営業を行っていた。
又、舞鶴市では、国華酸素・東舞鶴工場(本社横浜)が地域市場に酸素供給を行っていた。昭和16年頃、大阪酸水素工業と帝国酸素は互いにそれらのもつ市場を交換し合い、帝国酸素の京津地区販売権を大阪水素工業の販売店であった岩谷産業が引継ぎ、大阪酸水素工業は大阪での販売権の一部を帝国酸素に譲渡したりするなどして、当地区に於ける販売店配置が次第に整って行った。
戦時下(日支事変・大東亜戦争=太平洋戦争)に於ける変遷
日支事変から大東亜戦争へ……、戦時下に於いて、政府による統制経済への移行にともない、マル停価格(現行価格を凍結すること。○停と表現された)からマル協価格(業界で協定した価格、組織改変等も伴った。○協と表現された)へ移行し、更にマル公価格(工場渡しを一定価格にする。○公と表現された)を定め割当切符を用いる配給制へと変化していった。
戦争が激化する中で、当時、軍需工場であった山科精工所(京都市)の自家用酸素製造装置が稼動、日本電気(大津市)と三菱重工業(京都市)は酸素製造装置を準備中であったが終戦まで間に合わず戦後に稼動を開始した後に市販(外部市場へ販売する意)に移行することになる。
戦時中、京都地区に於いては“共同酸素販売所”なるものを設けて酸素供給機能を集約し、その業務は岩谷産業が担当したが、太平洋戦争終結後解散された。又、戦後の混乱期に岩谷産業は酸水素油脂工業の総代理店となり、一方で仁科商店、今村酸素店(後年、営業を再開)など廃業する業者も出た。
戦後の復興期
昭和20年春の米軍の大空襲によって阪神地区の主要工場は大被害を蒙り、酸素製造工場も大打撃を受けたため、その復興に至るまで大阪方面の酸素は殆ど伏見の酸水素油脂工業からの供給に頼った。京津地区に於いても戦後、工業生産再開にともない酸素市場が逼迫したこともあって、山科精工所(京都市)、三菱重工業(京都市)、日本電気(大津市)の3社が酸素の市販を開始した。後に日本電気の酸素製造設備は岩谷産業の手によって処分されることになるが、三菱重工業の酸素製造設備は京都酸素が継承し、山科精工所は自ら市販を行うと共に販売店として共生社(現在の泉産業(株))と中央酸素(平成6年に廃業)を起用した。
その後、地区の需要家団体(溶接組合)の分裂騒ぎ等の影響もあって酸素販売市場は一時混乱の様相を呈したが、徐々に平静化し、昭和27年頃には『京津酸素連絡協議会』なる業界組織が誕生した。舞鶴市に於いては昭和21年4月飯野重工業(株)舞鶴造船所(旧海軍工廠、現・ユニバーサル造船(株)舞鶴事業所)に酸素製造装置(30m3/H×3基)が増設設置され、飯野陸運(株)が余剰の酸素の市販を開始した結果、国華酸素・東舞鶴工場は閉鎖に追い込まれた。
液酸時代の幕開け
戦後の復興が進展し、需要増加が進行する中、高圧ガス技術の進歩によって大型酸素製造装置による液化酸素(昭和28年頃から)の製造が開始され、大量輸送、大量貯蔵、大量消費が可能となる液酸時代を迎えた。
舞鶴市に於いては昭和38年頃、当時の日立造船(株)舞鶴工場(旧海軍工廠→飯野重工業→舞鶴重工業→日立造船→ユニバーサル造船→現・ジャパンユナイテッドと変遷)の3基の酸素製造プラントを停止して買酸の方針に切り替わった。酸素の充填は、その後も継続されていたが、更に工場合理化の一環として充填業務を全面廃止(社内分も市販分も)する方針が決まった。そこで、新たに地域の酸素需要に対応する酸素充填所が必要となって、昭和42年に酸素の充填会社として舞鶴大同ガス(株)が設立され稼動を開始した。昭和21年以来、同地域に酸素の供給を行ってきた日本高速(株)舞鶴支店(旧・飯野陸運・中舞鶴営業所)は、昭和44年にガス販売事業の継続が困難となり、舞鶴大同ガス(株)に従事者も一緒に販売権の全てを譲渡して廃業し、以後、舞鶴大同ガス(株)が地域市場の供給販売を担うこととなった。
京都市においては、水電気分解方式による副生酸素の強みをもっていた酸水素油脂工業を除く他の気酸製造会社は、液酸に代わりつつある時代を迎えて、強く危機感を意識し、先ず、京都酸素が毎時15m3/Hの空気分離装置を廃棄して、帝国酸素と提携して京都帝酸を設立すると共に液体酸素受入に踏み切った。続いて、京津酸素(旧国華酸素)と山科精工所はそれぞれ毎時30m3/Hの空気分離装置を処分し、両者の主な販売権は、共生社(現・(株)泉産業)が継承し、京津酸素の販売権の一部は京津酸素(後の日生産業)が継承することになり、新たな枠組みに対応して昭和33年に『京都熔材商業協同組合』を結成した。同協同組合は、酸水素油脂工業の副生酸素をガスソース(岩谷産業経由)とする共同購入組織としての意味合いがあり、設立時加入会員は12社であった。以後、この協同組合は、40有余年間の長きに渉り京津地区の高圧ガス販売業者の核となりながら組合運営を継続してゆくことになる。(『京都熔材商協同組合』は、その役目を終えて平成15年3月に解散)
『京都ガス熔材同業会』の発足
高度成長時代の到来とともに高圧ガス需要は増大し、供給方式の変革等もあって、再び販売競争激化で市場が混乱し始め、その対策が急務となった。そこで地区業界の結束再編の為、昭和36年12月8日、『京都ガス熔材同業会』を発足させ、強力な市況対策が講ぜられることになった。12月8日の“日米開戦の真珠湾攻撃の日”が発足日となっていることに当時の関係者の意気込みと時代が感じられる。
発足時の会員は次の12社であった(規約署名順)。
発足当時の社名 | 発足当時の代表者 | 平成18年9月1日現在の社名 |
---|---|---|
京都帝酸株式会社 | 社長:藤井 三郎 | 変更無し |
冨士酸素株式会社 | 社長:宮川 博 | 廃業 |
宇佐美商店 | 代表:駒阪 由雄 | 宇佐美酸素(株) |
岩谷産業株式会社京都営業所 | 所長:大槻 滋男 | 岩谷産業(株)京滋支店 |
泉産業株式会社 | 社長:松岡 隆子 | (株)泉産業 |
共和溶材株式会社 | 社長:西田 末夫 | (株)共和 |
本川商会 | 代表:本川 安雄 | 本川産業(株) |
有限会社 京都溶材商会 | 社長:中川 忠幸 | 廃業 |
有限会社 京津酸素 | 社長:小西 源吾 | 廃業 |
中央酸素商会 | 代表:松井 静子 | 廃業 |
梅沢酸素店 | 代表:梅沢 治作 | 梅沢酸素(株) |
飯野陸運株式会社中舞鶴営業所 | 所長:岡田 彦七 | 舞鶴大道ガス(株)が継承 |
『京都府高圧ガス溶材組合』の設立
『京都ガス熔材同業会』の設立目的は、偏に市況の安定化にあり、会員各位の努力の結果その目的はほぼ達せられた。がしかし、高度成長が更に継続し、高圧ガスの需要拡大が進む中、新規開業する業者や他地区から参入する業者の増加で漸次販売業者の数は増えて来たが、『京都ガス熔材同業会』への加入が思うように進まず、ついに組織率が50%を割るに至った。
当時、技術の進歩に伴って流通する高圧ガスの種類も量も増加し、ガス需要は多様化の傾向を深めて行った。このような状況下、高圧ガス事故が全国的にも地域においても多発化する傾向が見られるようになった。業界として、これまで経済目的一辺倒に傾いていた企業行動に対する強い反省を自覚し、官民一体となって自主保安の意識高揚を図る必要性を痛感するに至った。茲(ここ)に業界は再び業界組織の見直しに着手し時代の要請に応えるべく新組織の編成に向けて発起人会を結成して準備検討に入ることとなった。
発起人会において種々検討の結果、①新組織の名称を『京都府高圧ガス溶材組合』とし、②組織率100%を目標にすること。③組合の目的を「組合員の経済的地位の向上と自主保安体制の強化をはかり、併せて組合員の親睦及び業界の健全な発展に寄与すること」とした。
又、従来は組合の代表者の企業内を事務局としてその業務を行っていた関係で組合の代表者が替わる度に事務局が移動し不安定な運営になっていた過去の業界組織の運営方法を反省して、④組合運営の中立性と継続性を図るために独立した事務局を設け、⑤事務専任者を置くことなどが話し合われた。④及び⑤に関しては組合設立後2年目に京都府の協力仲介を得て、委託形式ながら高木事務所内に事務局をおけることが出来た経緯がある。事務局は、その後変遷して現在は、中嶋権治税理士事務所内に於いているが、当初の考えを踏襲している。又、②の組織率に関しては、目標の通り100%(設立時28社)とすることが出来た。
昭和55年3月18日、京都グランドホテルで開催された設立総会に於いて準備された規約案、事業計画案等全て原案通り議決され、初代理事長として中森勝一氏(当時、泉産業・社長)が選任され、茲に『京都府高圧ガス溶材組合』が正式に発足し、その歴史を歩み始めた。以後、消費税導入騒ぎの時代、日本中がバブルに踊る時代、バブル崩壊後の金融危機の時代、需要が低迷し、競合により価格が下落し続けるデフレの時代をくぐり抜け、組合員各社の保安に対する真摯な活動を年々積み重ねながら京都府の高圧ガス溶材業界を代表する業界団体として現在に至っている。
昭和55年3月組合発足時の会員28社は下記の通り(現況は2017年8月現在)。
社名 | 現況 |
---|---|
京都帝酸株式会社 | |
今村酸素店 | |
(株)泉産業 | |
日生産業(有) | 廃業 |
(株)中央酸素商会 | 廃業 |
マルヰ溶材販売(株)京都営業所 | |
笹倉熔接工業 | |
林瓦斯工業(株)京都営業所 | |
(株)共和産業 | |
(株)ガスコン 舞鶴営業所 | 吸収合併 |
協栄商事(株) | 吸収合併 |
高圧ガス工業(株)京都工場 | |
(有)京都溶材商会 | 廃業 |
岩谷ガス工業(株)宇治営業所 | |
岩谷産業(株)京都営業所 | |
宇佐美酸素(株) | |
(株)京プロ | |
本川産業(株) | |
都島高圧ガス熔材(株)福知山営業所 | |
名神酸素商会 京都営業所 | |
扶桑産業(株)京都営業所 | |
大丸工業(株)京都営業所 | |
太陽酸素(株)京都営業所 | |
舞鶴大同ガス(株) | |
中山商事(株) | |
舞鶴工業瓦斯(株) | 吸収合併 |
丹後機械工業協同組合 | |
(株)植村酸素 |